97・12・21「ニュートラル”楽園への道”をみる。」

<わたしのこと>

ここはじゃむちで結構評判がよかったので、みてみようと思いました。かなり期待してました。

<劇場のこと>

 大阪堂島スペースゼロです。今回の感想はこちらと同じです。

<思ったこと>

 う〜ん。こういうのって、わたしの最も苦手な芝居です。なんかねぇ、もう、何もかもがいやでした。役者もいやだし(特に男の人。)、話もいやだし、テーマもいやだし。使われている言葉もいやだし。唐突な展開とか、思わせぶりな設定とか。そういうシーンを並べてその気になってるだけという印象を受けました。

物語の中で芝居をやっている人、そのものなんじゃないかな。この芝居。わたしは、何もすることがないから、面白そうだからって、芝居をするっていうのは違うんじゃないのと強く思います。わたしも以前そんなに芝居をみるのが好きならなぜしないのと芝居をやっている人に言われました。何回か。でも、その度に好きだからするっていうのは違うと思いました。芝居というのは表現のひとつの手段であって、「芝居をすること」自体には意味はないのです。表現すること、表現したいこと、伝えたいこと、みせたいものがなければ、芝居をすることは意味がないのです。芝居をしてさえいればいいというのでは違うのです。それに、人はその人にふさわしいものがあって、好きだからなんでもできるというのではない、自分を見極めなければと思います。
芝居の中で、芝居をやっている2人、すごく楽しそうだけど、わたしはこの人たちの芝居をみたくないなぁと思いました。

<役者さんのこと>

 どうも、なんか、すごい相性が悪い方々で…。かなり不快感を感じる人たちでした。言葉がすごく借り物みたいで、ほんとに言っているように聞こえませんでした。

<あらすじ>

 ああ、もう、すみません、あまり覚えてないんです。でも、それじゃ、反則かもしれないですね。思い出せる限りかいてみますが…。

芝居をやっている男がある日通勤の途中、かねてから思い描いていたことを実行する。逆向きの電車に乗って、ふらふらする。その後、行き先を考えるが、ふっと平日の動物園に向かう。そこで本を読んでいる(夏目漱石だったっけ?)女と出会う。その女と恋人同士となるが、かなり情緒不安定な男は彼女を束縛したがり、二人はすれ違いとなる。女が別れの言葉を言い、会わない日々が続いたが、しばらくして、二人は海で再会する。(それと、男が以前から親しかった劇団員の女と恋人の女が知り合い、いろいろなことがあって疲れているという恋人の女に、劇団員の女が劇団に誘い、芝居をする…っていうのが絡んでました。)

たぶん、こんなところじゃなかったかと思うのですが、なんか、日記読む形式みたいにもなってたし、言葉が…わたしには聞いてて許せないような、すごく簡単に物事を限定するような飾った言葉が多く使われていたので、あんまりよく聞いていなかったし…。正直、何がなんだか、物語も何が言いたかったかもよくわかりませんでした。

<公演データ>

公演名:

ニュートラル「楽園への道」@大阪堂島スペースゼロ 

公演日:

12/21(日)/ソワレ

出演者:

九谷保元、川田陽子、京ララ(強力集団ララパルーザ)